今回のお宿はHOTEL.COMで探したBourke ST.のALTO HOTELにしました。サザンクロスから徒歩1分ほど。今回は実質2泊3日ととても短く、手荷物の小さなリュック1個という、「あなた荷物ないの?!」と空港のGHさんに言われるほど、オーストラリアにくる日本人としては珍しい感じでしたが、それでも拠点は空港ベースで考えるタイプです。市内も分かってますしね。
値段の割になかなか良かったですよ。1泊6000円くらい?オーストラリアはヨーロッパに比べて物価は少し高く感じるくらいですが、ホテルはとても安いですね。ヨーロッパと言っても大都市と比べて、ですが。
今回は旅程も短いので1日が貴重です。少し休憩してさっそく懐かしの町へと繰り出します。
なんと町のシンボルでもあるフリンダーズ駅は改装中。
や~、この駅舎を見て、漸くはっきりとあの日の光景が蘇って参りました。
いつもここでディジュリドゥ吹いてたアボリジニの人がいたなー、とか。
フリンダーズ駅の斜向いにカテドラルがあるんですが、ここもよくヒマを潰してた懐かしいスポットで、
入り口に石のレリーフがあるんですが、当時ここで遊んでた白人の女の子がいかにも可愛らしく、写真撮らせてもらったなあ、とか。
10歳くらいだったとして、この子も今はもう27、8あたりですか。
きっと素敵なレディになっていることでしょう。
無事に生きてれば。
一人の少女が大人になるまでの長い時間、僕はなにかを成し遂げてこれただろうか。ちゃんと成長してこれただろうか。なんて思いが、この時ずーんと頭の中で湧き立ちましたが、実はこの後、自分がそれなりに成長してこれていたことに気づきます。
さて、移動します。当時住んでいたTOORAK(トゥーラック)までは8番トラムでも行けるのですが、時間を節約するために最寄りのサウスヤラ駅まで電車で行くことにしました。
結構混んでる。
フリンダーズ・ストリート駅からサウスヤラ駅までは2つです。駅舎は変わってないような気がしましたが、高層マンションが立ち並んでいました。前はまったくなかった。
この坂、よく歩いたな~。
上へ出るとそこがもうTOORAKへ続くTOORAK RD.です。
あ~ ! このセブンもあったあった ! という感じ。日本と違ってロクなもん売ってませんでしたが。
ここから8番トラムに乗り直します。
結構まわりの景色が変わっていて、降りる停車場が自信持てなかったので、あらかじめグーグルマップに登録しておいた家の位置をチェック。
降りる場所に来たらこのワイヤーを引いてブザーを鳴らします。
着いた !
以前ここにはSAFEWAYという米系のスーパーが入っていて、日々の食材などを買っていました。ホールのローストチキンが安くって、よく食べたなあ。今はWOOLWORTHSというスーパーが入っていました。
旅行のお土産はだいたい現地のスーパーで買う主義ですが、ありました。オーストラリアといえばベジマイト。
これをケースで大人買いして帰ることにしました。いやー、おれも大人になったなあ。笑
さて、店を出て斜向いの路地を入ります。
TOORAKは(少ないながらも)日系企業の駐在員なども住むことのある程度に、メルボルンでは割りと高級住宅街です。
まー僕は語学学校に紹介されたホームステイだったので関係ありませんでしたが。笑
着いた !
塀や壁などをリフォームしている最中でしたが、屋根などはそのまま。実は来る前にストリートビューで見た時に売りに出されていて、既に当時のホストファミリーは住んでいないことは分かっていました。
ほんとはみんなに会いたかったけどな。しばらく家の前でウロウロしていると、新しいオーナーさんが出てきたので、以前ここに住んでいたことを話して、前のオーナーは知らないかと聞いてみたところ、「全く知らない」と言われてしまいました。;;;;
この家、外はそんなキレイじゃありませんでしたが、中はゆったりとしていて、自分としては初の欧米スタイルの家でのんびりと過ごしやすい家でした。
この机で受験以来の英頻開いて、我ながらよく夜な夜なやってたなー。なんせ30で会社辞めて、英語という目的でオーストラリアくんだりまで来て、帰ってそれで「しゃべれません」じゃ男の面目も立ちません。「語学はボキャブラリー」ということは十分過ぎるほど分かってましたので、そこはひたすら英頻とターゲット1900(笑)を2-3往復しましたかね。毎日毎日、観光ビザの切れるまでの3ヶ月間。
裏庭もあって、よくお昼は外で食べたなあ。南半球はちょうど日本の真裏で、真冬に行ったのに初夏だったのです。このワンコロの名前は忘れた。
ホストファザーだったダンカン氏。無事に生きてくれてるだろうか。会いたかったなあ。
ダンカン氏は当時、セントキルダでレストランをやっていたんですが、場所をはっきり覚えてないこともあって、ストリートビューでは見つけられなかった。
ということで、日も陰ってきたので、晩メシを食いに、セントキルダまで歩いて行ってみることにしました。
(つづく)